救世日記

神聖なるもの

2026.03.05

私は神聖なるもののために人は生きるべきだと思います。

神聖なるもの、といってもメシアだとか精霊だとかいった宗教の話をしたいわけではありません。人間の一生を自身の持つ矮小なものさしで測ってみても、やはり取るに足らないものなのだと再確認したからこそのお話なのです。

人が生きる意味というものを真面目に考えてみたときに、それは人の生きる世界の枠組みの中では捉えることができないのかもしれません。なぜなら、生まれてから死ぬまでの間に生じた変化が物質的、概念的、どちらのものであろうと、その変化は元々あった世界の配列をすこし変えた程度のものであって、言ってしまえば万華鏡が回って、穴からみえる模様が変わっているような変化なのです。万華鏡は万華鏡のままなのです。

そういった万華鏡の中の変化を生きる意味だとしてしまうと、生きる意味というのは生きることであるという実に陳腐なものに言い換えられてしまうのです。それは生きる意味について思考する意味を破壊してしまいます。そんなことをして得をするのは元々思考なき生き方をしている者だけなのです。

つまり、我々が真の意味で生きる意味を発見しようとするならば、私たちの世界でない世界を発見しなければならないのです。そして、その世界こそが神聖なるもの、形容するならば私はそう名付けたいのです。

そして、神聖なるものの奴隷として生きる。それが人生なのだと、今の生を肯定できる唯一の方法なのだと本気で思うのです。これは酒の席だから出てきた妄言の類ではありません。本当に本当です。ほら酒の量だってさっき飲んだビール瓶一本だけでしょう?頭もスッキリしてる。だからそんな仕方ないやつを見るような眼をしないでくれ。

と、先ほどまで続いていた痴人の世迷い言は、急に振り下ろされた一升瓶によって終わらせられた。「何を意味わからないことをぶつぶつ言ってやがる」赤ら顔の親爺が据わった眼をして一升瓶の首だけを持っている。残りの部分はガラス片になって床に散乱し、殴られた男の血によってぬらぬらと濡れていた。周囲の客は居酒屋の騒々しさに邪魔されてまだこの騒ぎには気づいていなかった。

「生きる意味なんてあるめぇよ」酒臭い吐息とともに言葉を吐き出す。ふらつく体で床に散らばったガラス片を集めながら、親爺は続けた。「生きる意味なんてないのよ!俺がここで酒を飲む意味も、酔っぱらってる意味もない!だからこそ、酒がうまいんだけどな!」