フィクションは負け犬
2023.2.5
フィクションは潜在的に負け犬だと思います。
嘘偽りである、現実でない、というだけで嘲笑されている気がするのです。 「お前はまだそんなところで生きているのか」と下に見られ、同情されている。そんな被害妄想もフィクションに違いない。でも、結局現実を見ていないのだからダメですね、全問不正解です。
世の中の、オタクだとかニートだとか引きこもりというのは、なぜかフィクションを好みます。 彼らは液晶の中の世界の話しかせず、窓の外の太陽の輝きについては何一つ興味を示さない。自分は最初からあちら側の世界の住人なんだと主張しているかのような彼らの生活は、紛れもなく虚ろです。
虚ろの人たちは皆、フィクションは素晴らしいと言います。 面白い 芸術的だ クリエイティブ 奇想天外! 現実よりも!!・・・ しかし、私たちは現実の住人なのです。そろそろ夢から醒めなければいけない時間かもしれません。 いくらフィクションの素晴らしさを語ったところで、嘘は嘘。リアルは嘘なんか気にも留めない。フィクションはこんなにもリアルを恋焦がれているというのに!クソみたいな片思いです。
現実の重さの前ではフィクションは綿毛同然だと、頭では理解しています。じゃあなぜ、私はこんなにもフィクションに期待をしているのでしょうか。それは、いつの日かフィクションがリアルを打ち負かす時が来るのだと信じているからです。アニメの銃弾が現実の人を殺す瞬間を、神話の怒りがユーラシア大陸をかち割る瞬間を、待ち望んでいるのです。そうすればこのクソみたいな片思いも報われる時が来るでしょう。
なんだかんだ言ったところで私はこれからもフィクションを鑑賞し、愛し続けるでしょう。そして、そこに宿る劣等感も抱き続けるでしょう。 私たち、虚ろの人は一体どこを目指しているのでしょうか? フィクションの世界?液晶の向こう側?
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いや、結局のところ現実なのかもしれません。だって、私たちは負け犬なのですから。